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2017年01月13日

鎮魂の場所

2015年9月6日。
わたしたちは豊見城の海軍司令部壕跡にいました。
これまで避けていたこの場所に、初めて足を運んだのはどういった経緯からだったか。
たまたま豊見城のjefでゴーヤーバーガーを頬張り、空港に向かうまでに時間が余ったからか…。でも、そんな単純な理由で訪問するにはあまりにも重たい場所ではありました。
これまで何度か沖縄戦に纏わる地を訪れ記事にしてきましたが…2015年もこの前日に平和祈念公園へ行き、わたしの沖縄戦に対する想いを綴っていますので今回の記事では多くを語りますまい。
http://semaruhakogame.ti-da.net/e9045810.html


豊見城のjefから程近い場所に慰霊の地はありました。
那覇市内を見渡す眺めの良い丘の上。少し雲の多い日だったけれど、快晴の折には遠く東シナ海まで望めそうな。
そして、近隣は住宅や店舗の立ち並ぶ普通の生活の場。悲劇を感じさせる空気は特に無く、南部戦跡のような特別な雰囲気は漂っていないように感じました。
こちらは市民の皆さんに親しまれる公園になっていて、駐車場から坂を登りつつビジターセンターに向かいますが、途中大きくて年月を感じさせる亀甲墓が幾つか現れ驚く。薄いブルーだったかしら、色の付いたお墓は威厳あるどっしり感で、いつの時代からここに存在しているのか…この場所に司令部が置かれる以前からなのか。だとしたら、砲弾に屈することなくご先祖を守り抜いたのか・・・わたしの勝手な想像ですが、敬意を払わずにはいられないお墓の堂々たる姿でした。

ビジターセンターに辿り着き、資料館に足を踏み入れると…小規模ではありますが、壕内で発見されたという当時の遺品や関連資料が展示され、厳かで重々しい空気で満たされて…。
大田司令官の電文は有名ですね。
「沖縄県民斯ク戦ヘリ」…焦土と化した沖縄で、筆舌に尽くしがたい苦労と戦いを経験した沖縄県民に、後世御高配を…
このような内容だったか、電文を送ったのち自決した大田司令官。この命を賭けた懇願が、今現在日本のトップに百分の一でも届いているといえるのか。
何の為の戦い、そして犠牲だったのか。今一度深く考えて欲しいと思うのです。
また、旧日本海軍の軍人さんが家族に当てた手紙も公開されており、涙を誘う文面に息を詰めて拝読しました。
何通かある手紙。最初は戦況に余裕のある内容が、次第に日付けが進むにつれて厳しいものに変わり、後の世を生きているわたしたちには、何年何月何日に何が起こったのか知っているので…胸が痛くなる思いで辛くなってしまう。
その上この軍人さんの書かれた文章が優しい語りかけで「…デスネ」を繰り返し、お子さんの誕生を心から喜ぶ文章もあり、この方の心境を思いやるとなんとも言えない気持ちに(恐らくこの軍人さんは沖縄戦を生き抜くことが出来なかったのでは。)
ガラスケースに入った直筆の文字が70年以上の時を超えて、わたしたちに戦の世の哀しさを、生々しく訴えかけていました。

資料館奥、そこには司令部壕内へと降りる階段が見えました。
薄暗く無機質な死への入口。
ですが、わたしたちが訪問したのはこの資料館まで。
とても 内部にまで歩を進める気持ちにはなれませんでした…。

文頭に「多くを語らない」と書きましたのに、新年早々から重たい内容に終始してしまいました…。




鎮魂の場所
眺めの良い丘陵から当時を、そして平和の尊さを思う。








鎮魂の場所

慰霊塔を前に頭を下げ手を合わせてこの場所を後にしました。




                                                                        つづく。




Posted by せまるはこがめ at 16:41│Comments(14)
この記事へのコメント
お~ぉ一番乗り?
何かラッキー(*^。^*)

平和の勉強っていつか子供らにしないといけないとは思ってます。
ただ、だいぶ先かな・・・
それでも、心が大人になった時期には是非ともです。

多くを語らない。
俺の背中を見て覚えろ!感じろ!
って、昭和の父親かぁ(笑)

真剣な内容なのに、どうもすみませんでした。
Posted by インテ at 2017年01月13日 17:52
前にも娘さんが平和資料館も入れず、キッズコーナーまでは入れたと言ってましたよね。

県民より、せまるさん家族は沖縄を知ろうとする誠実な行動に本当に、感謝です。

こういった公園、読谷にもいくつかあります。

多くを語らない。とせまるさん。

多くを語ったらどんだけーってちょっとツッコミたかった(笑)でぃぃぃぃ
Posted by :*:天使ちゃん:*::*:天使ちゃん:*: at 2017年01月13日 18:25
インテさん

はぁい、一番乗りおめでとうございま~す。
でもインテさんはいつもコメント下さるの早い方では。2番手が多いかしらん。
お嬢さん方がもうちょっと大きくなってから、ね。
平和学習・・・長崎でしたら学校でも学ぶはずですね。昔日本ではこんなことがあった、穏やかな日常が何よりも有難い大切な事・・・と、今は幼いひとたちも、いつかは実感することでしょう。
あはは~。いつものインテさんでお願いします(笑)
固い内容の今回の記事、インテさんのパワーが必要です!
そして・・・最近Bさんとこでインテさん炸裂中(笑)
特に女子高生のくだりは・・・お、奥様に言いつけちゃうぞ(笑)
なぁんてね。
Posted by せまるはこがめせまるはこがめ at 2017年01月13日 20:58
天使ちゃんさん

さすがよく覚えていらっしゃいます。
戦争についてのお勉強はしたいけど、視覚的にショッキングなものは身体が受け付けない娘・・・。
碑に手を合わせ、祈ることだけはしてきましたよ。
いえいえ、感謝していただくなんて恐縮です。
でも、祈るだけで自分には何にもできないな~って無力感抱いちゃいます。
毎年沖縄で遊ばせてもらっているわたしたちですから、せめて過去にあった事実に目をつむりたくないなぁと思っているだけですよ~。
読谷にも・・・天使ちゃんは先生として引率された経験もおありでしょうか。
あはは~。ツッコんでツッコんで!
自分でもさらっと書き終えるはずだったこの記事。
気が付いたら・・・あれれ結構語っちゃったなって(笑)
放っておいたらいつまでも続きそうなわたしにどなたかストップかけてね(笑)
あ、2015年の沖縄話、こちらはもう少しで終了予定です(やっとか・・・(笑))
Posted by せまるはこがめせまるはこがめ at 2017年01月13日 21:10
壕には入らなかったんですよね。
感受性の高い方にはつらいところかも知れませんね。
知って頂き、考えて頂いただけでも十分です。
そうそう、隣は遊具がたくさんの公園なんですよね。
子供たちの嬌声が現在の平和を実感させてくれます。
Posted by B_islanderB_islander at 2017年01月14日 09:28
B islanderさん

スミマセン、新年からヘビーな記事になってしまいました…。
はい、なのに壕内には入っていないっていう。
娘がどうしてもダメだって。元々この場所に来ること自体長年避けていたことで。
でもこの年は、旅の最後の最後に公園までなら…という約束で来てしまいました。実際は資料館までですが。
わたしだけでも壕内を見学してこようかと思ったのですが、資料館を見た後、いざ壕の口を前にしたら…やはりとてもとても…。
Bさんは案内を請われて何度かいらしているとのこと。
感想を伺うというのも変ですが、異様な重たい空気感に満ちていたのかなぁ。
そう、公園と名がつくだけあって、大きな遊具がたくさん見えました。その様子は想像していたより立派で広い遊び場。
辛すぎる歴史を刻んだ場所のすぐそばで、今を生きる子供達の明るい笑い声…救われたような気持ちになりますね。
あ、あとレンタカーで去り際に、右手に大きな滑り台を見て直後、普通の街中なのにトンネルに入ったような記憶が…。
この辺りは丘陵地帯なんですね〜。
Posted by せまるはこがめせまるはこがめ at 2017年01月14日 15:40
3年ほど前になるかなぁ、
本土の友達がご両親を連れて沖縄観光にきたわけ。
その時ご両親のご希望で、
ここを案内することになったけど、
うち、海軍豪に行ったのは、その日が初めて(^^;;
そう、沖縄に住んで軽く24年を経過してるのにね(^^;;
うちの祖父は満州で、
祖父の弟は特攻で沖縄近海で戦死してるだけあって、
こういう場所は、いろんなことを考えさせられます。
Posted by す~み~☆ at 2017年01月14日 19:24
す~み~☆さん

24年経って、初めて海軍壕を訪れる機会が。
うん、自ら行ってみよう!って張り切って出向くような場所ではないですもんね。
幼いころから沖縄で育っていたら、学校などで見学する学びの場があったかもしれませんが。
ここは観光地でも楽しくなるような場所でもないですね。
お友達のご両親は何か思うところがあったのでしょうか。
す~み~さんのおじいさま、そして弟さん。
す~み~さんはそのお顔をご存知ないのですね。
わたしの亡き祖父も南方へ出征しましたが、生きて帰って来れて・・・今思うと、いろんな体験談を聞いておくべきだったかな、とも思います。
美しい自然に彩られて、今や観光立県として華々しい沖縄ではありますが、どうしても避けて通れない、沖縄にはそんな側面もあることを忘れてはならないなぁと感じます。
Posted by せまるはこがめせまるはこがめ at 2017年01月14日 21:59
せまるはこがめさん、いつも沖縄の事を深く思ってくださってありがとうございます。
海軍壕は昔、父と、8年前にも友達と行きました。
資料館に続いて豪まで行きましたが涙が出てしまいました。
ありきたりですが犠牲になった方達のためにも2度と戦争を起こさせない、が大切ですよね。
Posted by メープルメープルメープルメープル at 2017年01月14日 22:20
とても重い空気がたちこめてます。
整備はされてますが当時の様子がほぼそのま
ま残されているので現実が迫ってくるカンジです。
地下の狭い空間なので余計に重苦しさが増すのかも。
無理をなさることはないと思いますよ。
トンネル、ありますよ。
あの辺りの那覇市と豊見城市との境は断崖になっているので
段差を通過するため県道7号線は一部トンネルになってるんです。
Posted by B_islanderB_islander at 2017年01月15日 10:35
せまるはこがめちゃん helloです☆彡

メープルメープルさん同様 いつも沖縄の事を深く思ってくださってありがとうございます!(^^)!

私も恥ずかしながら ずーーーと昔に一度行ったきりです。

奥まで入れないのは 入らなくてもいいってことだと感じます
真剣に向き合っている方は 全部を見なくても感じられる
今はその時期なんだと 思います

いつも いつも沖縄を大事に思ってくれる誠意が私達に響き せまるちゃんのファンが多いんだよね!
(人''▽`)ありがとう☆

先日 辺野古の海を見てきました(後日写真を投稿しますね) 自然いっぱいの海に異様な風景を感じ 怖かったです
戦争は人が起こすもの
だから 人が起こさないようにもできる
平和は小さな積み重ね せまるちゃんのように愛の意識を持ち続けたいです♡♡
Posted by レインボーハートレインボーハート at 2017年01月15日 11:56
メープルメープルさん

ごめんなさい、書いている自分でも「新年早々からシリアスになっちゃった…」って感じました。
当然のことですが、楽しい内容ではないブログを書いていると自然に顔つきも難しくなり、ぽちっと更新ボタンを押した途端世に流れて「あーこんな重たい話が出て行っちゃった」と(苦笑)
それでも沖縄で避けてはならない歴史を見つめることも必要かな。
いつもいつも沖縄には幸せを頂いていますから。
いいえ、こちらこそ。これからもわたしの知らない沖縄を教えて下さいね。
メープルメープルさん、壕内を歩かれているのですね。
お父様、そしてお友達の方とも。
暗い壕を歩きながら、言葉少なになりそうです。自分の精神が事実の重みに負けてしまいそうです。
辛いですね。
仰る通り、犠牲になられた多くの人々を裏切ることのない未来でありますように、と願い、もう2度と繰り返してはならないと誓わずにはいられませんね。
Posted by せまるはこがめせまるはこがめ at 2017年01月15日 15:04
B islanderさん 再び

再度コメント下さってありがとうございます。
うーん…やはりと言いますか、Bさんも重たい空気をお感じになったのですね。光も届かない壕の中、圧迫感だけでも既にハンパない感じでしょうか。狭いとことが苦手な方にとっても恐怖でしかないというか…。
そうですね、整備されているとはいえ、弾丸の跡まで残されているという。兵士の呻き声まで聞こえてきそうです。
無理することは無い、と仰って頂けて気が楽になりました。
ほんとに、現在の平和な世の中ではとても考えられない地獄のような時代だったと思います。この壕を残すことにより、後世の人々が2度と過ちを犯す事がないようにと心から願います。
へぇ、那覇と豊見城の境界は断崖に?それはびっくり。
地図か何かで確認出来るかな?
単に丘陵地なのかと思っていました。あのトンネルがある事で段差を感じないんですね。
どれどれ…と、Googleの航空写真で再確認しましたら、やはり大きな滑り台のすぐそばにトンネルの口があるように見えますね。
住宅や店舗が立ち並び、大きな公園のあるような場所に突然現れたトンネルにびっくりした次第です。高台にある司令部壕からの眺めといい、この辺りは複雑な地形なのかなぁって。
Posted by せまるはこがめせまるはこがめ at 2017年01月15日 16:46
レインボーハートちゃん

ありがとう!
そんな風に思っていただけてなんて嬉しいことでしょう。
無力でつまらないわたし、自分の中で知ってること、感じたことをただ書き連ねているだけなんです。
それなのに、優しく丁寧に接してくださる皆さんに、こちらこそ感謝の気持ちを伝えたいなー。
伝わるかな・・・わたしのちいさなちいさなパワーですが。
「全部を見なくても感じられる」・・・とても力の湧くお言葉です。わたしは感じることが出来ているでしょうか。沖縄に飛ぶたびに、ただ楽しいことばかりではなく、感じる力を少しずつでも大きくできていたら幸せです。
辺野古の海を目にして怖かったと仰るレインボーハートちゃん。
その文章に目頭が熱くなってきちゃった。
沖縄の美しい海が怖く感じられるのって、台風のときか、わたしの知らない時代の戦世・・・。
この先、もう誰も怖い海を知らなくてもいいように、
そうですね、「人が起こさないようにもできる」その通りです。そこに尽きますね。
Posted by せまるはこがめせまるはこがめ at 2017年01月15日 22:10
 
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